ゼロからものをつくるということ
古墳〜平安の須恵器にはじまり、
鎌倉時代での製法の確立、そして室町、桃山文化へ
2018年9月25日
歴史の時間を旅した三日目、
朝の散歩をし、
倉敷を後に東へ。
目的地は備前焼の窯が集まる街、伊部。
備前焼の陶芸体験は、
コロ助がやりたかった今回の旅の大きな目的だ。
6月に小学校の宿泊行事で体験した丹波焼の陶芸や、
いただき物の備前焼の花びんの
生けた花の長持ち加減に驚いていたこと、
最近になって興味を持ち始めた
人間誕生以降の歴史や
地質学的(地質学は保育園からずっとヲタw)な興味からも、
ずっとやりたかったことだったそう。
倉敷から東へ向かう電車の窓からは、
伊部に近づくにつれ、
たくさん煉瓦造りの煙突が見えてきた。
駅に着くなり、
電話ボックスや看板、
駅舎の壁までも備前焼だらけ。
この地域一帯は、
昔から備前焼の窯元が集まる土地で
(いい土と木と運搬に使う水場があった)
作られた備前焼は伊部焼きとも呼ばれるそう。
今日、陶芸を教えてもらう備前焼作家の森大雅さんのおうちはすぐにわかった。
大雅さんとお父さんとお弟子さんが、
どうぞどうぞと招き入れてくれ、
まるで親戚が来たかのような暖かいおもてなしをしてくださった。
早速、私たちは作りたいものの形の図面を作成し、
コロ助はつぼ(蓋つきの!)、
私は朝用のミルクティーボウルづくりに挑戦した。
親バカかもだが、
コロ助はとてもろくろが上手で驚いた。
ふたのつまみには小さな桃の造形がほどこしてある。
彼の描いたスケッチ通りの仕上がりだった。
焼いた後も素晴らしい壺になりそうで、
とても楽しみだ。
心がいい人はいいものが作れるのかもしれんな。
邪念がないとか、そんなふうな。
いっぽう、立体が得意なはずの私は
ろくろ回しも、焼き物の粘土を触ることも
初めてな上に邪念だらけで形成には難儀した…が、
森大雅さんとお父さんが
丁寧にご指導してくださり、
何とか形作ることができた。
焼けるのが楽しみだ。
ものづくりを原点から突き詰めた人が作り上げてきた宝物を使って
作らせてもらった、
蓋付きのつぼと
朝めし用ティーボウル。
陶芸の歴史や、
土のことを調べているというコロ助に
様々な場所で取れたそのままの土を見せてもらったり、
窯の中に入らせてもらったり、
その間に畑に行って戻って来たお父さんが
「休憩しようか」と、
収穫した果物を食べさせてくれたり…。
結局夕方ごろまでおじゃましてしまった。
私はコロ助の保護者役であることも忘れて、
見せてもらう工程の一つ一つに驚き通しだった。
大きな登り窯は、
火が入っていないにもかかわらず、
まるで息をしているかのよう。
その周りには、
採取してきた「ひよせ」と呼ばれる
田畑の奥深くに眠っていた
100万年以上も前に備前の山から流れて来た土が
積み上げてある。
それらの粘土を掘り、
さらし、
寝かせ、
漉し、
練り(もっと工程ありそう)を繰り返し、
何年もかかって作った土。
それらを形成し、
釉薬もかけず、焼く。
土と火が作り出す色や模様は、
焼成時の並べかたで大きく変わるため、
窯入れ作業に一週間をかけるそうだ。
そして、やっと、
1000度を超える窯の中で10日間、
交代で松を割った薪を焚べ続け焼き上げる。
薪は、10kgほどの束を1500束くらい使うそうだ。
ん?
何て何て?
1200度を10日間、薪を焚べ続け、、、、、、、( ´Д`)!!!!!
2日前に初めて薪で火を焚べたばかり(←そこ!)の私たちは絶句した。
焼きあがったあとは
一週間以上かけてゆっくり冷まし、
水につけ漏れの有無を確認し、
やすりをかけ、仕上げる。
会社の友達に出産お祝いのお礼にもらったあの花瓶は、
こんなふうに作られていたのか…。
これが、ものを作るということなのか……。
旅ならではの学びを楽しむ
肌で、嗅覚で、直接感じることの重み
物心ついたころから器用貧乏であった私は
裁縫も編み物も料理も大工仕事もし、
気にいったデザインを探すのがめんどくさいという理由で
着るものの半分くらいは自分で作っていると思っていたけど、
大抵誰かが紡いでくれた糸や織ってくれた布を使っている。
食べるものもそう。
誰かが作ってくれた何かを使ったことしか記憶にない。
現在の自分の職業であるデザインに至っては、
作るというより組み合わせる作業で、
作っているものはといえば、
方向性くらいのものだろう。
この日の衝撃はうまく説明できないのだけれど、
目の当たりにしたものの大きさを、
日増しに思い出しては噛みしめている。
嗅覚や触覚を通じるせいか、身体にずしんとくる。
私は、ものづくりを生業にする端くれとして、
このずしんときた何かをずっと忘れずに仕事をしたいと思う。
しなければいけないと思う。
帰り道の電車の中、
二人ともほとんど話をせず
お父さんがお土産に包んでくださった
りんごやいちじく、きびだんごをいただきながら、
この旅でさかのぼった、
人間の生きてきたそれぞれの時代を思い描いてた。
もの作りの歴史は、
人の歴史そのものなのかもしれんな。
そして、この3日間の旅を統括することができるなら、
「肌で感じるこということの重み」に尽きるだろう。
例えばインターネットやテレビで、
この情報を知ったとしても、
驚きはしてもこれほど「ずしんときた」かどうかは
わからない。
鹿久居島での不安さや不自由さを体験していなければ、
江戸の町づくりの機能美をこれほど堪能できていなかったかもしれない。
1日1箇所という
期間的には短い旅やったけど、
ずいぶん遠くに行って
帰ってきたように感じた。
森大雅さんのウェブサイト https://taiga-mori.com
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