大人が本気にならなければ、いじめはたぶんなくならない。
2021年8月1日
小山田圭吾氏のオリンピック楽曲担当辞任に考える、
いじめと暴力的カルチャーという娯楽の終焉
当ブログは、中学受験の体験記と教育格差のことなんかをテーマにしているので、訪れてくださる方は家庭学習を楽しくする方法や中学受験についての情報などを探しているお父さんやお母さんたちかと思います。そんな中で、このトピックを記録すべきか迷ったのですが、今回の一連の騒動から学んだことや再確認したことも多く、また「中学受験を考えている理由として、小学校時代のいじめがあって…」という話も何度か聞くことがあったので、記しておくことにしました。
怒りに我を忘れてしまい、あまりにも制御が効かない状況に動揺した。
東京五輪開会式の音楽担当者、小山田圭吾氏の過去のインタビューから、いじめ問題がクローズアップされ辞任になった話。小山田氏がクイックジャパンという雑誌のインタビューに笑いながら答えていたとされるその内容は、障碍を持つクラスメイトに向けた凄惨なもので、身体的「殺人」には運良くならなかったものの、魂の殺人と言っていい、人権や自己肯定感の徹底的な蹂躙だった。雑誌編集部の複数人の大人がその話を娯楽として消費し、被害者のその後の社会復帰の困難な様子をも笑い、「エンターテイメント」と言い放ち、被害者にインタビューを試みるという所業。
私は長く音楽をやっていたこともあり、友達がよく載っていたクイックジャパンもたまに読んでいて、小山田圭吾氏の名前も知ってはいたが、あまり接点もなく興味もなく、この話題が炎上するのは3回目ということらしかったが、知らなかった。大きな衝撃だった。氏がどんな人物なのかの前情報がなく「まさかこの人が…」というショックではなく、いじめというものがこんな凄惨なものかということを知ったことがショックであり、また、自分が過ごしてきた世界はなかなか激しい暴力的な世界だと思ってきたのだけれど、こんなひどい世界があったことを今日の今日まで知らずに平然と過ごしてきた自分自身に対しても大きなショックを受けていることを認めざるを得なかった。いじめに関しては加害も被害も免疫がなかったということだったのだろう。
とはいえ、先日の旭川の事件といい、ニュースなどでいじめのことを知ることもあり、そのたびに自分でも理解できないほど強い憎しみや怒りの「トリガー」のようなものの存在を薄々感じていたことではあったが、今回のこの騒動で、その存在は決定的になった。現在、私はメンタルの不調を治療していて、かなりいい感じに寛解しつつあった病状が大きくぶり返してしまい、参った。
大きな怒りや悲しみ、フラッシュバックに苦しんだ人は多かっただろうと想像する。ツイッターには障碍を持つ子のお母さんたちからの恐怖や悲しみがたくさん投稿されていた。ツイッター上で小山田氏の辞任を求めていた人たちは、”芸能人の不祥事を叩いてストレスを発散している人たち”の様子とは明らかにちがっていた。
また、小山田氏を擁護する人たちは圧倒的に男性ばかりであったことも、人権や差別といったこの社会の矛盾や問題が見えてきたようで興味深かった。
現場であった和光学園と取材当時の編集者や太田出版は、何らかの償いを社会にしていく必要を感じるし、学校に至っては何の声明もまだ出していないようなので、当時とは教師も入れ替わっているだろうけど、責任の追求も、これからの対策も、今からでもしたほうがいい。そして、民事にならなくとも、被害者のかたに賠償金という目に見える形にした何かで償わなければならないと思う。その後、深刻な精神疾患により、社会復帰はおろか、家族とも言葉を交わすことができなくなったと、当時の被害者の保護者へのインタビューから、損害はお金には到底換算できるものではないとしても、億単位の賠償金を支払っても不足があるほどの「魂の殺人」をしたという自覚を持ったほうがいい。(加害者は小山田氏だけではないと思うけど)
私たちに加害性はあるかもしれない。
それでも、”4度目の炎上”はどうしても阻止したかった。
小山田圭吾氏がオリンピックの楽曲担当を辞任し、Eテレ「デザインあ」が急遽別番組に差し替えられ、炎上が鎮火し、自分の怒りも落ち着いてきた今、私は自分の行動の加害性について考えた。
1つ目は被害にあって今もなお苦しんでいるであろう被害者のかたにとって、この炎上が、どれほど記憶を呼び起こされ地獄の時間になってしまったのだろうということ。彼、彼ら、彼女らはおそらく加害者の行いの文章や画像などががネット上に溢れ、断罪されることを喜んでいないだろうと思う。これ以上世間に曝され、蒸し返すのは、思い出させることは、頼むからやめてくれと思っていたかもしれない。そのことを想像し、私はネット上にこの怒りの声をあげることも、署名運動を広めたり協力することもはじめは躊躇した。自分だけが思うやっかいな「正義」のようなものをふりかざしていないかとも自問した。
だが、同じように怒りのトリガーを引いてしまった人たちは怒り狂った。日本オリンピック協会-JOCが、小山田氏の続投を決めたことや、小山田氏の世間に対する謝罪文により反省や後悔といった感情の無さがわかったことで、さらに炎は大きく燃え上がった。過去にいじめにあっていた人たち、障碍を持つ子どものいるお母さんたちは怒りとともに恐怖のどん底に突き落とされた。たぶん、この世論の怒りは収まりそうもない。過去に三度も炎上したことがあるということは、そのたびに被害者の人は過去の苦しみをほじくり出されてきたのではないか。
そうなるくらいなら、私が行動を辞めるより、行動して「4回目の炎上」を何としてでも止めた方がいいのではないか…。そう思い、行動にうつした。立ち上がっていたばかりの署名集めのリンクや、JOC、スポンサーへの意見の送り先などを効果のある場所に貼るべく打算的にツイッターを使い、100もなかった署名の数はみるみるうちに3万近くになる。増えてゆく署名と書き込みの数と、鳴り続けるツイッターのお知らせ音。自分の行動は正しかったのだろうかと何度も自問した。あれは暴力で、これは暴力でないと、誰が言えるのだろうか。
被害者の方のことを思うと「できれば炎上させず、海外からの指摘で何とかJOCに気付かせるほうがいいのか」などと、姑息な事も考えたが、事の凄惨さを英訳し海外に伝えることは(…原文も酷すぎるため)なかなか難しいようで、自分たちで声を大きくしていくしかないと感じていた人も多かったと思う。
スポンサーへの意見もきっと大きく効いてくれたのだろう。小山田氏は辞任することになった。
本人も、家族も、辛かったことだろうと思う。特にお子さんのことを考えると苦しい。もう二度と、ほじくり返されることも、炎上することもないことを願う。
ガキ大将はいなくなり、暴力の受け手はマジョリティからマイノリティに
昔はガキ大将と呼ばれたりもした少数の「いじめっ子」が多くの場所にいたような気がする。その一人がみんなをいじめる。少数が多数を加害する力関係のバランス。いじめっ子は怖がられたり嫌われるだけだったので、なんとなく平和が保たれていたのかもしれない。
いつ頃だろう、私が小学校低学年だった1980年代前半頃には、なんとなく「いじめっ子」とか、「ガキ大将」なる存在はいなくなっていたように思う。そして、時を同じくして「ここから先は笑いのネタにはならない」というボーダーラインもなくなっていった気がする。
時期にしてちょうど、人気番組『8時だよ全員集合』の裏番組『オレたちひょうきん族』が始まった頃だろうか。2つの番組の笑いは全く違っていた。全員集合のドリフターズがやっていた、コメディアンが変な顔をしたりバカになることで起こった笑いに比べ、コメディアン(番組内でもビートたけしや明石家さんまさんはどちらかといえば前者の笑いだったような気がするが)が他者をバカにし笑わせることが、人々には新鮮に写り、新しい笑いの到来にも見えたのだろう、通っていた小学校の子どもたちにもすぐさま浸透していき、移行していった。
大人が禁じるものは”いいもの”なのだろうと信じ疑わなかった私は、有害な番組だと大人たちが顔をしかめるこの新しい笑いに、時折感じるモヤッとした違和感を無視し続け、わかったふりをし笑っていた。
多くの人が、これが新しい時代の笑いなのだろうと、他者を傷つけることに不感になっていていたのだと、今さら、思う。そして、私も同じく加害者のひとりだったのだろう。
以降、テレビやお笑い芸人の作る笑いの種類はどんどん変わって行き、『とんねるず』の登場によって、セクシュアルマイノリティは笑いの対象であることがスタンダードになり、その名残は根強く、未だに無自覚に多くの人の中に存在する。
多数が少数を笑う。からかう。イジる。いじめる。
ガキ大将の時代から、いじめの時代へ。力関係の逆転は、人々が気付かぬ間に加害者になりながら、いつのまにか定番化されていく。
そして、ダウンタウンの登場があった。人の痛みや苦しみを笑いに消費する流れはさらに加速し、定番化は決定的になっていった。今でもその流れを含む番組や笑いはテレビには多く残っているようで、世論とテレビ業界に住む人たちの間にもかなり大きな乖離があることは否めない。事実、テレビはなお危機的状況で、若者たちのテレビ離れは叫ばれて久しい。すばらしい番組もあるし、テレビという媒体には個人的には希望も抱いているので、テレビは存続してほしいけれど、自分たちが前時代的な価値観の持ち主であることを直視しないかぎり、現状は厳しいだろう。
残念やけど、今回のオリンピックには、そういった電通の幹部をはじめとする”時代に取り残された業界人たち”の悲しい終焉をも見た気がした。
話がそれました、すみません…
そして、その先にできたのが、80年代後半〜90年代における露悪・鬼畜系サブカルチャーの世界だったのだろう。
断っておくけど、サブカルチャー自体を非難する気はない。というより、この頃、自分のやっていた音楽も大衆文化とは離れた所にいて、むしろ、こちらに近い存在だったのだろうと思う。きれいなものしか見えないようにして、不都合なことや汚いとされていることに蓋をしながら、実際は弱者を虐げていた大衆文化に対してのカウンターカルチャーのある社会は、ある意味多様的で健全だとも思う。
ただ、一方で、「サブなカルチャー」として大手メディアから外れたところで非人道的、差別的、悪趣味な物がよりその度合の強いものが求められてゆき、もっと残酷にもっと過激にと、いつしかヒートアップしていってたような世界があった。より悪趣味なことが”イケてる”世界。
私は、自分のいた世界において暴力に辟易していたこともあったせいか、わくわくもドキドキもしなかった。だけど、自分だけは100%そんな風潮に流されていなかったと言いきれるのだろうか。見なかったことにしたことはなかっただろうか。
小山田氏のインタビューも、かなり大きな社会的な問題だったにもかかわらず、掲載した当時に世間がスルーしただけで、今になってやっと、それがあかんのやとみんなが気付いただけなのかとも思う。
新しい風だ、波だともてはやし、誰かの痛みや苦しみを、本人の辛さは置き去りに消費し、作り上げた文化。そんなもんのどこが ”カルチャー” だというのだろう。
自分も含め、そんな空気をエンターテイメントとして消費し、反論しなかった全員の責任なのだと私は思う。
親や大人たちにできることがある。
いじめはなくすことができると思う。
過去にもどることはできないし、もどる必要もない。じゃあ、これからどんな社会をつくっていくのか。遠い過去の記憶や自分がしてきたいいことや悪いこと、様々な出来事を思い出した。
恥ずかしいですが、私も幼い頃から少し暴力的なところがあり、また、父親がケンカに関しては変に流儀に厳しく、スパルタ的なところがあったため、負けて帰ってくることは許されず、また、相手が年下、複数人の場合はこちらの人数より少ない数、女の子(私も女の子だったのですが…涙)など、様々な制約があった。その言いつけが染み付いているのだろう、大人になってからも複数人で一人を攻撃するいわゆる「いじめ」については、拒否反応のトリガーを押してしまうのか、怒りを制御することができない自分に薄々気付いてはいた。級友に対して暴力をふるったり、人を傷つけることをしてきているわけで、どの面下げてそんなことが言えるのかはわからないのだけれど、反射的に怒りのスイッチが入ってしまう傾向があった。
そして、それらの感情や制御はみな、おそらく、いつもふざけていて、ほとんど本当のことを言わなかった父親が見せた「大人の本気」というものが私に伝わっていたということなのかもしれません。
もし、私が大勢で一人を加害をするようなことがあったら、父は許さなかっただろう。私を殺したかもしれないとさえ思える。そして私もまた、コロ助がそんなことを万が一にでもしたら、彼がトラウマを抱えてしまうほどの怒りを爆発させてしまうだろうと想像する。
ただ、コロ助には悪いが、彼はそんなことをしないだろうけど(もちろん決めるけるのはあかんけど)彼が転校したり、クラス替えしたり、学校生活の話を聞く節目節目に必ず聞くようにしている。
「いじめとか、仲間はずれにされてないか?」
「あるいはそんな子はおらんか?」
「いたとしたら、全力で味方につかなあかん」
「それは人として絶対にやらなあかんことやねん」
「それは、ごめんな、ごめんやねんけど、”絶対”やねん」
本当は暴力じゃなく、話術とか笑いで暴力をねじ伏せるのがいちばんかっこいいものではあるけど、と前置きしつつ、
「いじめっ子が怪我してもそれは仕方がない。母ちゃんはもちろん怒らへん。
暴力に立ち向かうにはかなり勇気がいると思うし、怖いと思う。
だったら、誰も見てへんところでもいいねん。
絶対にいじめられてる子を一人ぼっちにしたらあかん」
「たとえ個人的にコロ助がその子のこと嫌いやっても。やねんで。」
「かばうことで、コロ助がいじめられるようなら、その時は母ちゃんが守るから、大丈夫やねんで」
「それもいややったら学校も別にいかんでええ、その子と一緒にうちで勉強したらいい」
等。し、しつこい…
何回も言われたらしんどいかもしれんな。そのことをコロ助に伝える私は怖い顔をしているんやろうし。
でも、煩がられても、わかってもらえてたら嬉しい。
「これはホンマにあかんねんな」と感じてくれたらいい。
親が子どもに本気で伝える。みんなでよってたかってする「いじめ」は何があってもあかんのやと。
コロ助が小学校の2年か3年位の頃から、折りに触れ、ずっと言ってるため、彼の中ではたぶん「ぜったいにあかんもん」として、いじめの認識があるやろうと思う。あってくれてることを願う。そんな、多数が少数をいじめることは絶対にあかんのやという空気を発信するような子が2人か3人くらいクラスにいたら、きっとその火種はもう上がらないのだろうとも経験から思う。もちろんすでに起こってしまっているものを止めることは容易ではないやろうけど、意識の持ち方で、起こらない雰囲気を作ることはたとえ一人であっても充分可能なのではないかということも、コロ助から教わった。
手前味噌な話で恐縮やし、親バカフィルターもあるかもやけど、コロ助のいるクラスはだんだんゆるい平和なクラスになっていく。ケンカ好きそうな子が多かったり、あんまりやさしくない子が多いクラスになったとしても、参観日で見る教室の雰囲気が1学期と3学期とで全く違っていることが一度や二度ではない。個人懇談の時にもいろんな先生に「コロ助くんに救われています」と幾度となく言われ、ある時はクラス替えの際、校長先生のもとに「コロ助と同じクラスにしてほしい」と保護者の方と一緒にお願いしに来た子がいたと聞いて、本当にうれしかった。
いじめサバイバーでない自分がなぜこんなにいじめの問題に反応してしまうのかは未だに謎やけど、コロ助にこの話を伝える時、私はちょっと怖い顔をしているのかもしれない。
大人の本気は、たぶん、間違いなく子どもに伝わる。伝わってくれていたらうれしい。
伝わらなかったとしたら、本気度が足りなかっただけのことだろう。
この東京五輪の騒動があっていじめの問題がクローズアップされる機会も増えるかもしれない今、子どもと真剣にそんな話をするチャンスが来るだろう。その時に私たち大人は何を伝えることができるのか。
排除や暴力がエンターテイメントになったような時代の文化を過去に作ってしまった私たちが、亡霊のようにつきまとうその名残を払拭し、人権や多様性といった言葉の響きが虚しく感じられることのない世界を作る緒を、子どもたちに託すことができるのか。大人の本気が、今、問われてると思う。
現状を疑い、知恵を寄せ合い、模索し続ける。
たとえばアメリカのある公立校「性善説にたよらない」
同じくツイッター(現X)上に共有があった、アメリカの公立学校でのいじめの対策を紹介したい。
子どもたちが集まったら「いじめは当然おこること」としてルールを決めるというもので、私のような無知は性善説によって行動してしまっていたので、とても参考になり、大きなヒントになった。
このシステム、いじめた子を転校させるってのもいいと思う。いじめられた子が転校しなければいけないことってよく聞くけど、何でか被害者が我慢を強いられるシステムが多いような気がするもんな。
また、私立中に多いのかもやけど、これは性善説も性悪説もなく、灘や東大寺なんかには小学校では浮いていたであろう癖の強そうな子が多いせいか、いじめが起こる気配すらなさそうだ。かといって仲良し強制もあるように見えない。ちなみに校則などもほとんどないようだ。先生が厳しく見張っているからという感じもなさそうで、(どちらかといえば先生は遠目に見守ってる感じ)これらの学校に至っては「ないこと」が完全にデフォルトのようだ。
と、いうことは、ない世界を作ることもできるという事実があるわけで、そうなっていく理由やそうならない理由を、家庭ではどうか、学校ではどうかと、ひとつづつ比較しながら潰していくことにより、何かが見えてくる可能性はある。公立校と難関校の間には学力や人間的な成熟度の差もあるだろうし、家庭環境が恵まれていて鬱屈したストレスが少ない子が多いこともあるかもしれないが、先ほどの「大人の本気」にも無関係ではないような気がする。
つい最近、旭川で痛ましい事件があったことは、私たちの記憶に新しい。今、まだ、どこかにこんな目に会っている子がいるのだろうか。私たち大人は行動を急ぐべきだろう。
追記:
この文章の中で私が連呼した強者と弱者や、マイノリティやマジョリティについても、あまりにも乱暴な線引なのではないかという疑いを禁じ得ない。本来はすべての人がマイノリティであり、弱者でもあるはずだ。
生き物ははみな平等に生まれてくるわけがない。
でも、すべての格差が創意や工夫によって、単なる”特性”として、何の不自由もなく存在することができる社会になれば、その時に、やっと人間が文明的な社会を築けたということになるのかもしれない。
障害という表記を「障碍」にしたり「障がい」にしてみたところで、ほとんどは何も変わらないことに、私たちは気付くべきだろう。
他者の立場を想像することは誰にとっても難しい。でも、それをあきらめないこと、間違いながら、自分の行動を疑い続けることで、少しずつ進化していくほかないのだろう。
ぽちっと応援してくださるとうれしいです(^o^)
↓
にほんブログ村
人気ブログランキング
-
前の記事
初めて塾で受けた芦研模試の結果がかえってきた 2021.07.15
-
次の記事
5年生のうちにやっておきたいこと〈算数その1〉 2021.08.05