勉強って何のためにやるのだろう

勉強って何のためにやるのだろう

2018年10月24日

見える景色が、こんなに違うのか

朝、会社に向かう電車の中でふと、
20年ほど前に合唱団で歌った「水のいのち」という合唱曲集を思い出し、
頭の中で歌詞を思い出しながら1曲ずつ歌ってみた。

その曲集は、水の一生を
人間の一生や道のりなどに例えて
歌ったものだった記憶はあったけど、
印象というか、
重みというか、
なんというか、

以前に聞いていたそれと全然違う。

えーえーえー、そんなことを歌っとったのか…

いい曲やなとは思って歌っていたけど、
そんな意味やったのか…

電車を降りてからも
歌の言葉が次から次へと思い出しあふれ、
出る言葉ごとに新たな意味に気付く連続。

感動して涙がぼろぼろ止まらんくなって
変な人みたいになってしまった。

コロ助の受験勉強がはじまってから
私もほとんど一緒にいろんなことを学ぶうちに、
地球やその上にある山や海や生き物が
どんな緻密でシンプルなシステムで成り立っているか、
とか、
またその事実を数字を使って証明する方法があるのだ、
とか、
そんなことを知ったり考えたりしてからとする前で、
何もかもが違っていた。

大げさでなく、
世界が違っていた。
今まで見ていた景色と違う。

いろんなことを知れば知るほど、
さらに知らないことは増え、
自分が何も知らないことを知る。

学校の勉強を全くしなかった学生の頃は、
自分が何も知らないことさえ知らなかったんやな。

声を大にして言いたい。(そんならブログでもやったほうがいいんかな)

勉強はしたほうがいい。

机に向かわない勉強は誰しもするだろうけど、
机でするほうの勉強も。
学校に行く行かないは関係ない。

生きている楽しさの深さや大きさが違ってくる

実は私は学歴がないことで苦労したという記憶がほとんどない。
何でも死ぬ気でやればある程度は何とかなる。
だから机の勉強なんかしなくても、
生きていけることをたぶん知ってる。
でも、生きている楽しさの桁みたいなものが
おそらく、大きく違いそうなのだ。

国語算数理科社会。
どれもこれもがつながっていて、
一生懸命やっていれば、
早いうちにそのつながりに気づくだろう。
そして、そうなった時、景色は大きくなり
さらには、立体になる。

目くそが溜まってぼんやりとして見えにくかった目が
突然見えやすくなるみたいに。

お母さんやお父さんである人は、
子どもに「勉強なんてしなくてもいいよ」って
ぜひ言わんといてほしい。

私はその言葉を信じ、
(言われてもしなかったかもしれんけど)
全く勉強をせず、
学校にも行かなかった。

大人になって大検を受けるまで、
分数さえも知らなかった。

勉強しなさいと言われると
やりたくなくなる子どももいるやろうから、
「勉強はおもしろいで」という事実だけでも
どうか伝えてあげてほしい。

そして、できるなら一緒に楽しんでほしい。

あぁ、やっぱりコロ助は
半分神様みたいなものなんやな。

そんなに学校の成績がいいわけでもないのに
受験をしたいって言ってくれて、
ありがとう。

もう、ありがとうしか出てこんわ。

コロ助が行きたい学校に行けるよう、
父になり母になり時には友達になり、
どんな努力も惜しまんつもりだ。

公立の学校が、
コロ助の行きたい学校みたいに制服もなかったり、
やりたい勉強に没頭できる環境やったらいいのにって思うのは
ちょっと引っかかるけどな。




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