高級住宅街と、母子寮との距離
2017年10月30日
選挙の前であるこの日に、3年前の投稿が出てきた。
中学受験を考えるより前の話ですが、
このブログのもう一つの大事なテーマである
教育格差について再考したので、投稿します。
この頃にはそこまでわかってなかったのかもしれないけど、
現在の日本における、母子家庭(父子家庭もそうなんかな)の貧困率は
世界的に見ても、
戦争や紛争が起こっていない国においてはちょっと異常なこと。
なかなか政治にまで意識がまわらん状況かとは思うけど、
ここをあきらめたら、この状況をよくすることは
個人の力では困難を極めるでしょう。
遅くなりましたが、投票に行ってきます。
教育格差。その残酷なほど決定的な環境の違いに
子どもたちの運命は抗うことができるのか
コロ助を連れて家を逃げ出た時に保護してもらった
旧名「八尾母子ホーム」のみなさんが、
ホーム卒業者親子らの同窓会を企画してくださり、
新しく建て替えられた母子ホームにおじゃました。
やっぱりみんな仕事などで忙しいのか、
集まりはまばらだった。
だけど、ずっと一緒に生活していたお母さんや、
入れ替わりのはげしいホームの中で、
すぐには思い出せないけど、
だんだん一緒にお風呂に入った日々を思い出したりする人もいて、
不思議な感じがした。
何より、
母子家庭のお母さんばかりいる環境に戻った感覚は独特で、
懐かしさというにはちょっとずんとくる何かを
久しぶりに身体で感じた時間やった。
今、わたしたちが住んでいる地域は
たぶん関西でも指折りの高級住宅街で、
コロ助の通う学校に
母子家庭や父子家庭の子がいると聞いたことはない。
両親が揃っているのは当たり前で、
インターホンが鳴ってからいくつもの門を開けるような大きな家に住み、
お父さんの学歴は東大、京大やハーバード大卒などが多く、
職業は社長だとか、お医者さんとか、パイロットとか、有名なスポーツ選手だとか、
そんな子が多数派だ。
たぶん、この地域は特殊な地域なのだろうと思う。
だけど、ずっとここに暮らしていると
それが特殊なことだと思うことを忘れてしまう。
この「特殊な地域」では
ゲーム機やスマホなどを持っている子はごく少数で、
流行っている遊びは
ベイブレードというコマ回しや、
将棋、手作りの竿で釣りをしたり、
秘密の基地を作ったり(秘密といいつつ見せてくれる)。
どれだけ根掘り葉掘り聞いても
イジメらしきもののような気配も無さそうで、
新聞などで見る小学生のイジメの件数や実態などを
想像することがしにくくなっている。
一方、他の地域に暮らすみんなは、
コロ助と同じ歳の小学生でも
スマホを持っているのがスタンダードで、
友達と公園に居ても、
遊びはゲーム機かスマホのゲーム。
中学のクラブ活動では
LINEでしか連絡網をまわせないので
持たざるを得ない状況になっているという話に驚いた。
LINEなどのSNSをつかったイジメがあるなどということも、
そんな物をもたなければいいと思っていたが、
どうもそうはいかないようなのだ。
みんなの話を聞くわたしはまるで、
いきなり娑婆の世界に出てきた
浦島太郎のようだった。
両親揃っていても
大変な家庭もいっぱいあるし、
お父さんが家事育児に協力的やったとしても、
お母さんはどこの世界でも忙しい。
でも、
やっぱり母子家庭のお母さんの緊迫感は
ちょっと種類が違うような気がする。
共通しているのは独特の「あきらめ」。
その「あきらめ」は、残念なあきらめもあるけれど、
生きていくことや、
いちばん大事な何かを
「あきらめんために諦める」それも含んでいる。
ワンオペ育児がもたらすお母さんの大変さも叫ばれてるけど、
母子家庭の現実は、
育児に疲れる間も、
社会における自分の存在意義を問う余裕も、
仕事のやりがいのあるなしを憂う時間も
ない。
父子家庭はまた別の大変さがあるんやろうな。
今の行政の制度では、
生活保護をうけるにもハードルが高く、
お母さんが病んだり倒れたりすることは、
最悪の場合、
家族の死をも意味する。
子どもが小さいうちは、
しょっちゅう仕事も休まなくてはならず、
月の収入が数万円になることは常時のことで、
多くのお母さんは正社員になることも今の時代は難しく、
クビになると収入は0になる。
収入0期は、我が家も何度もあって、
コロ助の遠足のリュックサックを買うお金が工面できずに
結婚指輪を売りに行ったこともあったよな。
服はよれよれ、
肌はぼろぼろ、
髪はばさばさ。
自分はデザインの仕事をやっているので、
身なりは信用にかかわるかと気をつけてはいるけれど、
美容院なんかには数年に一度しか行けず
(6年くらい行ってないんかな…)
人付き合いや飲み会、
セレモニーの類もすべてあきらめる。
母子ホームにはあれだけたくさんの女の人が集まってるのに、
誰かのことを悪く言ったり思ったり
いじわるする時間もないので、
そんな人間関係もない。
「ママ友」との関係に悩むことなど皆無の世界だ。
ただ明日も生きていけることだけを考えて、
助け合って生きていた。
とてもシンプルなその感覚。
今は、仕事が遅くなれば、
近所に住む祖母の助けを求めることもでき、
仕事をすれば給料をもらうことができるので、
明日のお米があるかどうかを心配しなくていいようにはなったし、
コロ助の未来のことを考えることもできるようになってきた。
だけど、
この先、稼ぎがよくなったとしても、
母子寮にいたときの
いちばんシンプルなこの感情は忘れたくない。
いや、忘れることなんてできないのだろう。
この子たちが幸せにならんかったら、
うそやろと思う。
もうひとつ、気付いたことがあった。
それは、
ここの会場に来ていた子たちが、
びっくりするくらいとてもいい子たちばかりだということだった。
みんな大きくなっていて、
男の子なんかは誰かわからないくらいお兄ちゃんになってたり、
年頃になってたりするのだけど、
今時の中高生ってこんなに素直で優しいんかなと驚いた。
ここの母子寮に入るということは、
おそらくみんな、
いろんな修羅場をくぐってきている子たちだろう。
お母さんよりもっと傷ついていた子も
たくさんいるだろう。
幼い子どもを部屋に残してお母さんが家に帰らず、
子どもが餓死したとても痛ましい事件を、
母子ホームにいる時に、
ニュースできいたことがあった。
寮内の大浴場からの帰りに、
ロビーで風呂上がりの小さな子どもたちがその話をしていた。
「あの子たちもお母さんもかわいそう。
ここの母子ホームに来れたらよかったのにな。」
子どもたちは口々に、
お母さんもかわいそうだと言った。
私は、
何の面識もない、事情も知らない
子どもを殺してしまったその母親の苦しみを想像することを忘れ、
憎しみの念さえ抱きそうになっていた自分を恥じた。
これからこの先にも辛いことはあるかもしれん。
だけど、だけどきっと幸せになると思う。
いや、この子たちが幸せにならんかったら、
うそやろと思う。
そんな世界を作っていくために仕事をする。
そして、今、
着の身着のままで家を出たお母さんには、
「子どもはまっすぐ育つから安心してな」
と言いたい。
お母さんが頑張ってるのを子どもはちゃんと見てる。
だから、子どもが幸せになることだけはあきらめんといてほしい。
ていうか、あきらめんとく。
大急ぎで高級住宅街の真ん中にあるボロアパートに帰ってきたコロ助は
友達に招待してもらっていた
ハロウィンのパーティーに出かけた。
とても楽しかったようで、うれしかった。
それにしても、
子どもがスマホを持たなあかんようになる仕組み、
何とかならんかな…
これは、想像力を
かなり大きな力で奪い取ってしまう物のような気がして、
めっちゃ心配やねんけど…
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