中学受験は、どこまで難化するのか
2020年1月6日
見たこともない難問も、翌年には「定番」に
見たことも聞いたこともないような難問。
出題されるやいなや、瞬く間に大手塾で共有され、
多くの解法が出し尽くされ、
演習が重ねられあっという間に、
見慣れた「定番問題」となる。
そしてその翌年はまたそれらを凌駕する
「誰も見たこともない」さらなる難易度の問題が、
入試日に子どもたちの前に出題される。
そして、それらを初見で素早く解くために
パターンを大量に暗記し、
真夜中まで演習の訓練をする―。
そうして
難度はきっと上がっていくのだろう。
試験問題を作った先生本人が
現在の難易度も、
教科によっては
すでに大学のセンター試験などは超えていると
言ったことがあった。
私はそれを聞いて驚かなかった。
あぁ、やっぱりそうか、と思った。
いったいどこまでこの加速は続くのだろう。
出題している中学校の側も、
きっとどんどん難易度が上がり続けることなんか、
本位ではないだろう。
少なくとも東大寺学園の先生はそんな感じだった。
ただ、先生と生徒の数のベストなバランスを考える上で、
生徒の数をこれ以上増やすことはできないそうで、
出願者を何らかの方法で選抜しなければならない以上、
難易度を上げるしかない。
公立の小学校で学んでいることと、
中学受験勉強が全く異次元になっているこの乖離は
どんどん大きくなりそうだ。
本質的に無くすことはなくても、
縮めることはできないのだろうか。
小学生の間に決定的な学力の差がついてしまうという異常性
受験算数は、楽しかった。
学校の算数ともかなり異質のもののようだ。
そんな要素が学校の算数にあれば、
コロ助は学校の勉強も好きになっていたかもしれません。
そして、
小学生の時期に、
決定的な学力の差が着いてしまう事実があるのだということも、
この受験で思い知った。
コロ助の家庭も家計ギリギリのチャレンジであったとはいえ、
1年早かったら、家計的には無理だった。
コロ助に兄弟がいても無理だっただろう。
この2年間、コロ助と毎日がんばってきたのだけど、
そのことは心のどこかに
ささくれのように引っかかる。
これでいいのか。
いや、たぶんよくない。
家計によって、
持っている資産によって、
学校は自由に選べるといいとは思うけど、
関東のように受験者のほうが多数になったり、
経済的な理由で小学生のころに学力の差が大きく開くのは
きっとよくないことだろう。
どうすればいいんやろうな…
学校の先生も大変そうだ。
ぱっと思いつく範囲では、
それぞれの公立学校の采配で、
校則のない自由な学校を増やしたり、
学び方の特色を自由に作っていいようにして、
越境も自由にする…?
定員オーバーになったら学力順で入れるように…
って、それやったら受験と同じか…!
公立学校の勉強の仕方は、
きっと先生たちも自由にできない
強い縛りのようなものがある気がするんやな。
あとは、
塾にいける子と行けない子の差を
公的な補助で縮めることを可能にすることとかかな…
塾代の補助はすでにやってる自治体もあるけど、
みんなが塾に行くことが解決策ってのも、
本質的にはなんか違う気もする。
本当は塾なんかなくてもいいんやと思う。
学校で勉強して帰ってきて
何でまた勉強しに出かけなあかんねん…
勉強は学校でだけ完結させることができるようになればと思う。
勉強に向きや不向きもあるんかもしれんけど、
学ぶことって生きるためのことやから、
それぞれがやりたいだけの量と質の学びを
受けることができる世界になればなと思う。
コロ助が興奮気味にほっぺたを赤くしてうれしそうに帰ってきてた
灘学習院の思考学習みたいな時間を
公立の学校でも作れたらな…
と、心から願うよ。
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