灘学習院という変わった塾 〈その2〉
- 2021.07.08
- 灘学習院
――― 灘学習院という変わった塾〈その1〉からのつづきです
宿題。お母さんお父さんは、絶対に手を貸してはいけません。
5年生で、
●ワーク一冊(灘学が作った基本的な計算問題や漢字と語句の問題集。
親が丸付けはするが答えは教えないこと)
●思考のプリント2枚ほど(灘の過去問など)
●天声人語の要約2題(はじめはクソほど時間かかるけど…!)
と、他塾よりは少ないだろう。
宿題についての詳しい記録はこちらから
https://takatombi.com/post-428/
親ははじめに「お母さんお父さんは、絶対に手を貸してはいけません。
わからなくても、解けなくてもいいんです。
考え続けることが大切なのです」
と、言われる。
この先生の言葉をどう解釈するかにはちょっと注意点がある。
気をつけなければいけないのは、
手を貸さないということは、放っておくということとは全く違う、
ということ。
個人的な反省として、
ここに注意をするべきだったかと思う。
ワークや思考以外の勉強は一緒にするようになっていたが、
思考のプリントや授業で解けなかった問題に関しては、
「とにかく手を出したらあかんのやろ」
一年間はとにかくじっと耐えるのだ…と、
一切手出しをしなかった。
見たらやりたくなりそうなので、
あまり見ないように気をつけた…
でもよく考えると、
コロ助はほんの10年ほど前に生まれたばかり。
大検の時の私の執念じみた解き方と
同じしつこさを課すのは酷だろう。
他にやることも、楽しいこともいっぱいある中で、
一つの解けなかった問題のことを何日も考え続けることは難しいだろう。
先生は忘れてもいいとは言っていたけど、
わかるまで何日も考え続けることができれば、
もっと、よかったかと思う。
もちろん、それには
親の何らかのフォローが必要かと思う。
「出来た!」っていう達成感や
答がわかった時のすっきり感が、
あまりにも長くお預けになるがずっと続くと、
自信をなくして不安になってきたような時期もあったからな。
答を教えたりはしないとしても、
ヒントっぽいものを出してやったり、
プリントをコピーして一緒に最後まで考えるなり、を
もう少し早くしてやれてたらな、と一年位経った時に思った。
心構えとしては、
●親の焦りは禁物。
●見守りつつ放置はせず。
●「考える」を一緒に楽しもう。
ってところかな。反省点として。
自頭を鍛えるのには、灘学習院はほぼ最強と言って差し支えないかと思う。
灘学習院で得た一番大きな物
それはやはり、「考える」という脳みそ的な基礎体力と、抗体とでも言うべき慣れだろう。
とにかく集中してずっと考えることが苦にならないようで、
「考える」時間は習慣になった。
会話をしていても、考えの階層が多く、深くなっている。
天声人語の要約で鍛えられた語彙力の飛躍的な定着も相まってか、
(元々あまり本を読まない子にとっては、天声人語の要約の取り組みも、楽しくなるような親の工夫はいるかもしれんけど)
社会的なトピックスなども、
その辺の大人としゃべるよりずっと深い議論を、
対等にするようになっていた。
いや、対等にというより、六年の終わり頃には、
話題によってはこちらがついていけないこともしばしばあった。
入塾の決め手になっていたことの一つに、
塾選びの際に取り寄せた資料で見た
卒業生の作文の文章力があったのだけれど、
灘学習院の卒業生の書く作文は他塾に比べ、国語力が格段に優れていた。
算数のひらめき系と基礎的な国語力において、
自頭を鍛えるのには、
名門と言われる大手塾が乱立するこの西宮北口、夙川界隈において、
灘学習院はほぼ最強と言って差し支えないかと思う。
教えられて覚えるのではなく、
自力で考え出すから、ゆるがん強さになんやろう。
ただし、それは、あくまでも頭を鍛えるということにおいてなので、
期限が決まっている中学受験のために灘学に入塾するとすれば、
以下の特徴における注意点が必要かもしれません。
●時間を気にしない学習法なので(試験の時期においても、試験時間のテクニックにおいても)、受験本番前は時間配分の練習などを自分でしたほうがいいのかもしれません。
●理科と社会は他塾とあまり変わらないこと。(かなりレベルの高い参考書を使うのでそれらが完璧にできていれば大丈夫なのかもしれません)
そして、思考学習を進めていくと、
期日に迫られたような時には、
答えが出ないままでいることと、
クリアしたいことの両立が難しくなる場面があるかもしれません。
コロ助の場合、5年生からの入塾で、
学校の勉強も苦手な状態から
東大寺学園中(5年生10月に参加した学校説明会で東大寺学園の虜になり、第一志望校が変わりました)に行きたいというハードな設定だったので、
最後の半年は思考学習のみで突き進むことが叶いませんでした。
もう一度生まれ変わって、コロ助と出会えるのなら、
4年生くらいから灘学習院に行かせてやって、
もうちょっとゆっくり思考学習をやってやりたかったな。
(無論、その頃は中学受験など想像のかけらもなかったが)
やはりというか、案の定、
本当に賢い(と思う…例:コロ助の友達のお父さんがお医者さんで毎年自由研究の賞をとる自頭のめっちゃいい子などの)親は中学受験には目もくれず、
灘学習院で自由に思考力をぎりぎりまで鍛え、
公立中学校入学と同時に馬渕の創駿会に転塾していたようだ。
きっと、高校受験で灘校に編入したり、
公立高校から東大行ったりするんやろうな。
そのルート、
子ども時代は健康的にたくさん遊んですごせるし、
本当に賢いやりかたかと思う。
馬渕の創駿会は入塾審査が厳しいと聞くけど、
灘学習院で自頭を鍛えた子たちはみんな普通に入れてた…
(灘学からの大移動を見たコロ助は悲しくなって馬渕が嫌いになってんけどw)
4年生か3年生から灘学習院で地頭を鍛えて、
5~6年からは進学塾でテクニックを、
ってのがいいんかな。そんな人が多い。
ただ、コロ助は大手には行きたがらなかったし、
我が家では費用の面からも、はじめから大手は選択肢にはなかったけど。
最後までこちらの意思を尊重して、見守ってくれた
塾長の本に書いてあるとおり、
灘や京大には合格するかもしれない。
大人になっても、思考教育できたえた考える力は
子どもたちの生きる力そのものになるだろう。
でも、目の前の受験という観点からだけ見ると
灘学式のひらめきの学習では難しい学校もあった。
出た答えを緻密に整理し、積み上げ組み立てていくタイプの難関校だ。
(これはあくまでも自分たちの個人的見解であることを再度断っておくけど)
コロ助は、5年生の秋に
東大寺学園に志望校を変更したのだけれど、
東大寺の算数が灘よりもずっと苦労した。
問題数がやたら多い学校も難しそうやけど、
じっくり考え系で言えば、
洛南中学なんかも厳しそう。
東大寺の算数に手も足も出ない状態に気付き(6年の冬やし!)、
先生に聞いてみたところ、
「灘はひらめきさえすれば、あとは答えにたどり着きやすいんですよね。
まぁ、ひらめかん子にとっては地獄でしょうけど。
なので、灘は解けるけど東大寺が解けないってことは
大いにあることかもしれませんね…」と。
(最後の最後に、算数星人さんにご迷惑をおかけし、
お世話になりました(ToT)…!!!
→この時の話はあらためて投稿しますね
→6年最後らへんのトピックスなので…)
そういえば、思考の時間にやった問題、
東大寺の過去問なかったような気がするな。
また、国語では、完全に時間が足りなかった。
その壁が思った以上に高かったことに気付かせてもらったのも、
外部で受けた四谷大塚の統一テスト(六年秋…!!!!)だった。
最後の三ヶ月、塾の日数を減らしてもらったこともあり、
時間を間に合わせる特訓を毎日少しずつ家でした。
ここは、最後まで塾に丸投げしていたら間に合わなかっただろうと思う。
また、いつ迄に何をどれだけ補強すれば間に合うのか、
どんな作戦を立てるかみたいなことも、
多くは家庭でやることになるので、
その覚悟はいるかと思う。
もちろん、先生に相談もできるのだけれど、
灘学習院は受験予備校ではない。ということは、
どこかに留めておく必要がある。
ただ、こればっかりは結果論にもなってしまいそうで、
タラレバ言っても本当に仕方がないし、
灘学のやり方が受験には向かないなんてことはないだろうし、
その子の特性や学力、
志望校の入試問題のタイプ、
時と場合による、としか言えないのかもしれません。
※誤解があるといけないのですが…、
灘学習院が受験対策をしないということではないです。
志望校の過去問もやりますし、教えてもくれます。
我が家の計画が間に合わなかった、というだけのことかと思います。
本当は、思考学習のまま、ブレイクスルーを待ってやりたい。
ただ、入試日は待ってくれない。
時間がなかった。
補強するべき場所は見えていた。
オーダーメイドの対策でしか間に合わないと判断した。
最後まで灘学習院のやり方でやってあげたほうが
結果がだめだったとしても、
コロ助のためになっていたのかもしれない。
でも、どうしてもあの学校に行かせてやりたかった。
どうしても、この夢は叶えてやりたかった。
あきらめることがいつしか習慣になっていたコロ助が、
初めて親に懇願した、
願い事を叶えてやりたかった。
最終的には入試対策のディレクションを家庭に移し、
転塾はせずに、6年生の秋から日数を減らしてもらい、
家庭学習中心に切り替えた。
仕事をやめることもできなかったので、
毎日定時で飛んで帰り、
毎晩ひざをつきあわせ一緒に時間を計り、考え、解いた。
もがきながらも解決の策を見つけ出し、
一つづつ必死にクリアしていった。
その日々は本当に大変だったけど、毎日結構楽しくて、
2年の中学受験の思い出は、
最後の3ヶ月を思い出すと、今でも胸が熱くなる。
信号で立ち止まっている時も、
電車に乗っている時も、
ご飯を食べていても、
お風呂に入っていても、
あんなに我を忘れて走ったのは、
私も生まれて初めてやったのかもしれません。
その3ヶ月は
産後一週間目よりもある意味ハードやったかもと思えるくらいだ。
子育てに第一章があるとすれば、
その章の、まさに、クライマックス感が半端なかった。
灘学習院に感謝しているところのひとつに志望校選びがある。
完全に本人の意志を尊重してくれた。
偏差値40台の塾に行き始めた頃に
灘中に行きたいと言ったコロ助を、
「大きな夢を持ったことを褒めてやってください」と言ってくれた。
そして、
最後の最後のいちばん大事な時に
授業を減らすなんて、
先生もショックやったし嫌やったやろうけど、
お金がないこともあったのだけれど、
こちらの意志を尊重してくれたことには心から感謝してる。
この受験がほとんどいい思い出しかないのは、
灘学習院のおかげも大きいだろう。
結果的には、コロ助はまだたぶん
ブレイクスルーとやらを経験してないかもしれません。
ですが、今でもあの思考の授業を思い出し、
「灘学行きたいな〜」って言う。
集中して考えるってことが、
ホッとするのだそうだ。
引っ越しをしていなければ、もうしばらく通いたかったな。
以上が私たち親子が灘学習院で勉強した感想です。
もしかすると勘違いや、
灘学が意図していることと違う解釈などがあるかもしれません。
塾長の江藤宏先生が出している本に
思考教育についての詳細が書かれているので、
この本を読むのもいいかもしれません。
天声人語の要約のことなども詳しく書かれています。
100ます計算に対する否定的な考え方など、
わたしたち親子は、
灘学習院の考え全てに必ずしも賛同しているわけではありません。
科目や教科によっては、
思考教育じゃない方法を取り入れたほうが
子どもが楽しめるのでは、と思うこともあります。
それでも、
「わかりやすい授業」だけが正義とされそうになる昨今において、
この塾の存在は貴重かと思います。
この塾が家から徒歩5分足らずの場所にあったことも
私たちにとってラッキーでしたが、
江藤先生の本には、
思考訓練は家庭でもできる、
とくくってありました。
そして、それは「何歳からでも養うことができる」そうです。
このブログとの出会いが、
みなさんにとってのラッキーになれば、
この上ないよろこびです。
灘学習院の公式ホームページはこちらから
ぽちっと応援してくださるとうれしいです(^o^)
↓
にほんブログ村
人気ブログランキング
-
前の記事
灘学習院という変わった塾 〈その1〉 2021.07.07
-
次の記事
初めて塾で受けた芦研模試の結果がかえってきた 2021.07.15